クラスノヤルスク 巨匠スリコフの生まれ故郷
ロシアのど真ん中に位置する人口100万に少しかける都市クラスノヤルスク。
クラスノヤルスク市パノラマ、別の角度から、夜のクラスノヤルスク市。 クラスノヤルスク市紋章とクラスノヤルスク地方紋章 ロシア銀行10ルーブル紙幣。
まだ馴染みのない地域ではありますが1997年11月にこのクラスノヤルスクで橋本首相とエリツィン大統領との会談が行われた場所として知られています「クラスノヤルスク合意」(外務省)。
会談の内容は2000年までに日露間において平和条約を締結することを尽くすということでしたがいまだ実現しておりません。
ましてやこの両首脳はすでにこの世を去っており大変難しい立場に日本は立っています。
クラスノヤルスク市には世界一長いシベリア鉄道のクラスノヤルスク駅がありエニセイ川を横切ったコムムナール橋、川の港、パクロフス山小礼拝堂、崇高なニコライ教会、エニセイ川埠頭、クラスノヤルスク劇場広場、冬のクラスノヤルスク、祝日の展示、エニセイ川右岸とクラスノヤルスクなどご覧いただけます。
このページの上の椅子に座っている人物がクラスノヤルスクが生んだロシアの偉大な画家ワシーリー・イワノビッチ・スリコフ(Василий Иванович Суриков)です。
スリコフは1848年生まれて1916年に亡くなるまで多くの作品を残しています。
彼の代表作に」雪の陣取り合戦」(ウィキペディア)というのがありますが古くからシベリアに伝わる遊びで彼はこれを見て大変衝撃を受け向かって右のソリに乗っている人物がスリコフの弟アレクサンドルです。
その他「ミヌシンスクの大草原」、「メンシコフの長女」、「ローマのカーニバル」、「モロゾワ大貴族婦人」、「ローマのカーニバルの情景」、「医師A.D.エゼルスキイの肖像孝女の女子修道院訪問」、「クレムリンからの眺め」があります。赤い洋服の女の子が人形を片手に立っているオリガノの肖像画は素敵です。
クラスノヤルスクにはスリコフの名前がついているクラスノヤルスク スリコフ記念美術学校があります。
大勢の優秀な画家が卒業していて、ワインで絵を描く画家として有名なバレリー・クドリンスキーもその一人であります。
ロシアの芸術大学の特徴として「記念」という名前がついている学校が多くあるのが特徴です。
そしてもう一人の有名な画家アンドレ・イゲンナジビチ・ポズデーーフがいます。
1926年クラスノヤルスク地方で生まれ、スリコフ記念画家学校。
ロシア芸術アカデミー銀賞受賞。 1998年7月18日亡くなりました。
遊びといえばシベリアではサウナの後に雪の積もっている外へ出て寒中水泳ではありませんが寒中雪泳をするそうです。
とても根性のないギャラリー・エルミタージュとしては見るだけで勘弁させていただきたいと思います。
ダーチャ 一家に一軒といったらよいのか、ロシアではダーチャを持っている家庭が多くその中でもリャンネルやクドリンスキーの画像をいただいたクラスノヤルスクの友人ユーリー・キリューシン氏のダーチャをご紹介しましょう。
ダーチャとは日本で言う別荘のような建物がありそこには畑があって花や野菜を植えたりして休暇を楽しむ場所です。
ちなみにドイツにはクラインガルテンというのがあります。
夏の休暇にはダーチャで過ごす以外にキャンプにグループで出かけロシアの広大な自然の中に溶け込み大いに休暇を楽しむ遊びもあります。
友人のユーリが車2台で6人で分乗しエニセイまでの320キロメートルの旅行を画像にて掲載します。
冬のダーチャは暖かい。これはユーリーの友達のダーチャ。
国立自然保護区 クラスノヤルスク「柱」ストルブ
ロシア芸術アカデミー名誉会員トイボ・リャンネルがこよなく愛したクラスノヤルスク「柱」ストルブを描いた作品
ロシア功労芸術家水彩画家バレリー・クドリンスキーが描いた「柱」ストルブ
アガフィヤ・ルィコバ
1930年から1978年大アバカン川の調査に関して地質学者によって見つけられるまで, 高度な遠く隔たった都市サヤンタイガで人付き合いをしない人達と居住している古式分派の家族である。
ルィコバは現代文明と面識なかった。
当初、父カルパ・アシロヴィチ、母アクリナ、二人の息子ドミトリとサブィナ、 そして二人の娘ナタリヤとアガフィヤ家族6人で構成されていた。
ほとんど最近まで家族の一員で現代文明のために不慣れさとその中に接触したおかげで亡くなりました。
ステパン・フョードロビチ・トゥロフ
(1930年ー1982年)
グラフィック ロシア共和国芸術家同盟(1970年)
1964年クラスノヤルスク芸術家学校卒業
1963年-1968年スリコフ記念子供画家学校で教える
1968年から芸術家学校教師
アルバム「シベリアの冬」
アルバム「アガフィヤ・ルィコヴァ」
Raster Printさんより