美術の先生とカンディンスキー

先生、ご無沙汰していおります、学生の時お世話になりましたといってアトリエのピンポンを鳴らしてからだいぶ経ちました。

入れていただいたコーヒーを飲みながら卒業の時のあれはどうしとか?先生の絵はまだありましたよとか懐かしい談義でひと時をすごしましたが、意外な言葉が出てきたのには驚きました。

カンディンスキーの影響をかなり受けたと・・・・・・。

これからの絵画は絵を描くだけじゃだめなんだ、絵の世界も珍しいものを始めないとと言って見せていただいたのがご自身が運営している美術会のメンバーの絵でした。

これは子供でも描けそうなんだけどだめなんだ、今こういうのを教えていると色々作品を見せていただきました。

森や海をまるで丸のようにデザイン化した表現は大変斬新に思えましたが、その先生も今は遠いところへ旅経ちました。

アトリエに掛けてあったズミの絵は今でも忘れらません。

ワシリー・カンディンスキー 
Кандинский Василий Васильевич
抽象画家

柳通りと骨董通り

明治通りや青山通りと都内に幹線道路は数多くあり大渋滞するほど混雑し往来も激しい道路。一方、銀座の柳通りと青山の骨董通りは流通の拠点とは言いづらいアーチスト、画廊、骨董屋とゆかりのある通りとしてすごく良い雰囲気を醸し出している謎のスポット。

柳通りについて少し思い出があります。
市谷の駐屯地から昔のフジテレビを左手に見て走る通りがあります。地名は市谷柳町。
護国寺の方から四谷に抜ける道を通る場合、柳町通りをまっすぐ行くと込んでないよと教わったことがあります。銀座柳通りと市谷の柳通りをいつも重ねて考えてましたがどうも間違って覚えていたようでした。
本当は「柳町の通りをまっすぐ」を「柳町通りをまっすぐ」と聞き間違いが原因ではなかったのかと当時のことを振り返っています。

骨董の分野は人気番組、何でも鑑定団による勢いを借りていることもあり人気があります。
絵画部門もこの地が日本の芸術の発信源としてさらに発展してもらいたいと思うのは美術芸術の分野を携わる人達の間でも高く関心を持っていくことでしょう。