バフチンとクラスノヤルスクの友人達

鏡の自画像鏡の自画像
ファイル加工をしながら版権の検査ファイル加工をしながら版権の検査
Victor Bakhtinユーリー・キリューシンに贈った自画像
シェミャーキンの鼻シェミャーキンの鼻
収集家ウラジミール・エフレメンコの客として収集家ウラジミール・エフレメンコの客として
バフチンとチン・モ・ツァイバフチンとチン・モ・ツァイ
印刷所の職員と印刷所の職員達と
クラスノヤルスク男子修道院クラスノヤルスク男子修道院
クドリンスキーのアトリエでクドリンスキーのアトリエで
ロエフの小川 公園ロエフの小川 公園
友人友人
いのしし 一番有名な優しい獣いのしし 一番有名な優しい獣
プレス 代表者会議プレス 代表者会議
バフチンの個展バフチンの個展
マーヤーアメリカ在住 妻マーヤーとバフチン
記念日の展覧会 チイ・モ・ツァイ記念日の展覧会 チイ・モ・ツァイ
ラスター印刷所でのバフチン
ラスター印刷所でのバフチン
バフチン現代芸術と歩調合せて走る
バフチン現代芸術と歩調合せて走る

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動物画家ビクトル・バフチン絵画作品

トラの絵画
捕獲の時間
1998年油彩90×90
タカの絵画
苦しい勝利
1995年水彩40×60
わしの絵画
三つの詩の結び
1995年アクリル60×120
雷鳥
朝の現象
1991年58×40
鶴
美のコンクール
1996年アクリル50×83
水原
日没の輪
1995年アクリル60×70
海辺の鳥
木のシャバシコウ
1996年アクリル61×110
鵜
おはよう
1996年水彩45×75
三羽の白鳥
三羽の優雅
1997年アクリル80×170
丹頂鶴の絵画
美女と化け物
1997年アクリル60×120
鳥の結婚の絵画
雲の中の結婚
1996年油彩85×85
シカの絵画
春の人影
1996年アクリル95×70
はげたかの絵画
大勝利
1993水彩58×44
鳥のコントラストの絵画
アマゾンのコントラスト
2001年アクリル120×62
牛の絵画
競争者の招待
1999年油彩70×100
豹の絵画
雪のない白ヒョウ
1998年水彩50×82
二頭のとらの絵画
3月のトラ
1991年アクリル86×130
綺麗な羽の絵画
稼ぎ手
1994年水彩50×60
王子の絵画
プリンセスカムチャッカの雲
1993水彩40×60
大地の絵画
大地のトラ
1994年アクリル40×60
吠える
晩の遠吠え
1994年水彩60×120
緑の中の鳥
最後の期待
夏の動物
極地のババ 夏.
1994年アクリル54×120
サバンナの絵画
真冬の絵画
冬の幻
1999年アクリル70×120
タカの絵
大河の支配者
1999年アクリル170×120
進入した動物の絵
不法越境者
シャムネコの絵画
若いシャムネコ
2006年水彩20×30
鳥の川の絵画
表現の壁面ヴィスコム州
白人の到来まで

植物園の装飾壁面
メディソン

植物園の装飾壁面
メディソン
鳥のダンスの絵画
雪のダンス
1995年アクリル30×130
静かなる動物の絵画
2004年40×60

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ワインと絵画

ワイン、それはやはり芸術であるが何か堅実にそれに接する価値がない。
単にわけを知る必要がある。
2004年クラスノヤルスクワインクラブ議長イーゴリ・シェインはバレリー・クドリンスキーにワインの濃淡で描く技術でワインを描くよう提案した。
実際は技術は大変古く、複雑で人気がない。
決して全員ワインで描くことができない。

画家は少量のワインの濃淡での技術を蘇らせることになった。
少しずつ時間とともに事実失ってきた。
それは長い間素材を研究し情報を集めた。
長時間の間、どのように実際にワインで描く必要があるのか、まさに理解の経過を要した。
まさに直感的に作るだけである。
普通じゃないテクニックを習得しながら、画家は丸1年ワインの実験をした。
熱烈に、集中的に、酸化させて描くことを試みた。
甘いワインを基盤として作り出される絵は、長続きさせない。
つまり塗料が干からびる。
砂糖の結晶が撒き散らされる。
だから今日バレリー・クドリンスキーはもっぱら赤いそっけないワインで活動をしている。

安全な唯一の色調達成することに成功した。
飽和赤から優しいバラ色まで。
難しい点は正しいワインの種類を選び出すということだ。

ところで絵はワインで描かれてまっすぐに太陽光線から大事にしておかなければならい。
少しずつ光沢がなくなってくる。
それたのために弱い光が望ましい。
正しい、保存により絵は大変長い時間抜群の状態でいられる。

バレリー・クドリンスキーによって描かれた絵はフランスのワイン醸造酒業者は見たとき、当惑させられた。
「シベリアの画家の景色に本当に感動」本当に恍惚となった。
もちろんヨーロッパでこのような技法で描く画家達は存在するがしかしうまく作ることができるクドリンスキーは大規模で鮮やかではるかに興味がある。

ヨーロッパで我々の画家が大変愛され、高く評価され注目する価値がある。
彼は多くの年数、フランス、オランダで活動をした。
そこで彼の想像物は偽りの無い興味をまことに引き起こした。

紹介されている作品は、コレクションのワインで描かれている<Тегга Wine collection>
世界の様々な地域の小さな家族的なワイン醸造酒の生産を団結する。

ヨールカ祭り

昔、ヨールカは祭日のシンボルでクリスマスに教会の祭日のためにヨールカを飾った。
ソビエト時代、権力が教会に接しヨールカは新年のシンボルになった。

yoruka

ёлка ヨールカ
もみの木

動物の鳴き声

動物の声帯模写で有名な江戸家猫八という落語家がいることはご存知でしょう。聞き入ってしまうほど名人芸です。さてロシア語で動物の鳴き声を表すとこうなります。他に熊とかセイウチ、さらに他の動物も加えたいところですが現在のところあいにくこれだけです。

アヒル(утка)クリャクリャ кря-кря

ガチョウ(гуси)ガーガーガー га-га-га

犬’собака)ガフガフ гав гав、ボルゾイもこのように吠えるのかも

猫(кошка) мяу

余談ですがモスクワオリンピックの時、熊のミーシャが涙を流すシーンは話題を呼びました。

絵画と住宅問題

絵を飾る場合第一に考えなくてはいけないのが一体どこに絵を掛けるかとなります。

玄関上がって居間に通されるととそこは洋間でソファーが置かれその前には大型の液晶テレビがどーんと構えています。食器棚が並び趣味のゴルフバックがあったりその隙間にカレンダーが肩身が狭そうに掛けられているいった部屋があります。

寝室には洋服ダンスをはじめ桐の箪笥があり絵の掛けられる隙間がないのが実情なんです。

2階屋の場合だと階段に飾れば立派なギャラリーに変身しそうなんですがこれも無理で、階段の幅が狭い。踊り場があればせいぜい4号程度の額ならなんとかいけそうな気もしますが、さてぴったりとしたサイズの絵があるかとなるとそこでまた悩みます。

額縁にこだわらなければ絵はいたるところに飾れるんです。小品でも片方の幅が10㎝くらい、それ✕2となると20㎝、3号で27㎝として合わせて約50センチ。どう転んでも大きい額。この厚みが狭い部屋に不適当。ネックですよね。

口笛吹くと金がなくなる

坂本九の『上を向いて歩こう』は外国でもSUKIYAKIとして大ヒットしました。

曲の途中、坂本九が口笛吹いている音はなんとも心地よく聞こえてくるものですがこの口笛はロシアで「家の中で吹くと金が出て行く{お金が無くなる)」というのです。諺というよりお母さんから聞いたとかおばあちゃんが言っていたとかいうように昔から伝わってきている言い伝えもしくは伝承のようです。

日本では昔から伝わって聞いている、「貧乏ゆすりしてはいけない」とか「夜爪を切ってはいけない」というような言い伝えと同じでしょう。

国が違うと思わぬところで誤解も生じますが諺というのは戒めの意味も込められているので国を問わず参考になると思ったら耳を傾けるのも必要ではないかとひしひしと感じてきました。

ましてやお金が出て行くなんて!

 

柳通りと骨董通り

明治通りや青山通りと都内に幹線道路は数多くあり大渋滞するほど混雑し往来も激しい道路。一方、銀座の柳通りと青山の骨董通りは流通の拠点とは言いづらいアーチスト、画廊、骨董屋とゆかりのある通りとしてすごく良い雰囲気を醸し出している謎のスポット。

柳通りについて少し思い出があります。
市谷の駐屯地から昔のフジテレビを左手に見て走る通りがあります。地名は市谷柳町。
護国寺の方から四谷に抜ける道を通る場合、柳町通りをまっすぐ行くと込んでないよと教わったことがあります。銀座柳通りと市谷の柳通りをいつも重ねて考えてましたがどうも間違って覚えていたようでした。
本当は「柳町の通りをまっすぐ」を「柳町通りをまっすぐ」と聞き間違いが原因ではなかったのかと当時のことを振り返っています。

骨董の分野は人気番組、何でも鑑定団による勢いを借りていることもあり人気があります。
絵画部門もこの地が日本の芸術の発信源としてさらに発展してもらいたいと思うのは美術芸術の分野を携わる人達の間でも高く関心を持っていくことでしょう。