昔は一度くしゃみをしたら50回くらいノンストップでそれこそ多連装ロケットのように凄まじかったアレルギー性鼻炎が数年前から治るまでは至っていないもののその弱さに陰りがでてきたようです。医者の治療は一切していません。もちろん原因は不明です。
ロシア語ではアレルギーをこのように書きます。
аллергия
鼻炎はナスモルク(насморк)やリニート(ринит)
昔は一度くしゃみをしたら50回くらいノンストップでそれこそ多連装ロケットのように凄まじかったアレルギー性鼻炎が数年前から治るまでは至っていないもののその弱さに陰りがでてきたようです。医者の治療は一切していません。もちろん原因は不明です。
ロシア語ではアレルギーをこのように書きます。
аллергия
鼻炎はナスモルク(насморк)やリニート(ринит)
とかく暗いイメージが付きまとうシベリア抑留問題だがウズベキスタンでも日本のものづくりが高く評価されているようです。
明治天皇の玄孫・竹田恒泰先生の番組ではウズベキスタンのナヴォイ劇場は日本の抑留者たちの手によって建てられとい、またその数十年後にタシケントを襲った地震では倒壊しなかったという驚くべき事実があると、そういう尊い話があったとは知りませんでした。
シベリアの抑留されていた時でさえも日本人の日本人らしい心が生き続けていたのかと思うと少しでもそれに近づかなければと思う次第です。
ラトビア共和国 リエパーヤ港
かつてこの港から日本に向けて大艦隊が日本に向けて出発した。
かの有名なバルチック艦隊の母港でもある。
「ラッパのマークの正露丸」この薬にお世話になっていたのは私ではなくだいぶ前に亡くなった叔父さんでした。
いつも何か用を頼もうとするといないので周囲に「どこへ行ったの?」って尋ねると必ず返事が「トイレじゃないの?」って、そのくらいちょくちょく下痢をしていた叔父さんが大好きな缶ピースと一緒に肌身離さず持ち歩いていたのがラッパのマークの正露丸でした。
正露丸は日露戦争の真っ只中、日本軍が私のような下痢をするような兵士がいては使い物にならいと言ったかどうかは不明ですが征露丸としてクレオソートを主剤として製造をして配った常備薬でした。
文字から推察すると攻めるという意味も込められているのでしょう、なかなか力強いネーミングのようですね。
すでに現在では「征露丸」から「正露丸」に名前が変わっています。
1996年油彩
娘 ナースチャ |
||
1995年 干物
|
||
1999年油彩 リョーシャ・サロビエフ
|
||
サムコーボ
1994年油彩39х59 |
|||
サムコーボ村
1992年油彩53х77 |
|||